機械編みについて思うこと その1

全国7000人の機械編みファンの皆様。
お待たせしました。

さてさて、このテーマについて、思うところいろいろのわしであります。

「ざっ、ざっ」あの音は、もしかして、原風景ならぬ原音である。
 (原音?なんのこっちゃ?)
絶滅危惧である。

わし同様、もの心ついた頃から、あの音色とともに生活してきた人も、
多くはないかもしれないが、そこそこいると思う。

わしらより2世代くらい上の方は、
「ぱったんぱったん」
はた織のおとである。
そう、「おつう」のあれである。

まだまだ、「手づくり」が、趣味ではなく生活であった時代である。
趣味も悪くはないが、というか、良いことであるが
やはり、生活のほうがよいと思う。
すくなくとも、わしは、好きだ。

そうそう、「おさや」ってのは、苗字ではない。
ときどき、わしのことを「おさや」という苗字だと思っている人がいるようであるが、
ちがう。
「おさや」の「おさ」は織り機のパーツで「筬(おさ)」ってのがあって、
それをうちのひいじいさんが、作っていたので、「おさや」である。
竹製の筬だったと思う。
わしが子どもの頃は、まだ家の中に、竹製の筬が、おいてあったりした。

ちょっと調べてみたら、
日本竹筬技術保存研究会
なんてのがあった。
おさやのホームページからリンクしておきましたのでご参考までに。

「おさや」がまだ「筬屋」であった頃、たぶん、まだ家庭内手工業の時代である。
農閑期など、近隣農家に「おつう」がたくさんいたに違いない。

現金収入は、貴重である。
有能な織り手(嫁)は重宝されたに違いない。
で、「おつう」である。

そんな基盤があって、「鶴の恩返し」とか「夕鶴」とか、そんなことである。

つづく・・・・。
by osayaitomise | 2010-06-11 19:52