筬辰商店 その1
というか、親戚以外の人は、興味がないことである。
この文章を書いている今おさや店内で「社長」と呼ばれているわしは、4代目である。
このブログのアドレスは「http://osatatsu.exblog.jp/」である。
「筬辰」という言葉は、40年ほど前、先代の社長がやっていたスタンプカードに「筬辰会員」と書いてあるのを見たことがある。
それ以外に記憶はない。
創業者の辰五郎さんは、筬(おさ)を作っていた。
おさとは、機織のパーツである。
屋号の「おさや」は、これが起源である。
そんな「おさや」の「辰五郎」で「筬辰」である。
で、わしの「辰夫」の「辰」もそこから取ったわけである。
このブログを開設するにあたり、osaya で開設しようとしたら、既に先客がいた。
あまり考えずに osatatsu で、IDをとった。
自分で「おさたつ」を名乗るのは、生まれて初めてのことである。
それから、一月くらいたったら、地域の有力者中島屋代助商店(桜祭のとき、よく紹介されるこいのぼりやさんである。)の大将が、こんなコピーを持ってきてくれた。

昭和8年 尾北通信広告社発行「岩倉大勢」 の広告ページのコピー。
左にある 「岸慶逸」は、わしの爺さんである。
つづく