筬辰商店 その2

昨日に続いて、ほとんどの人は関心のない話で恐縮ある。
昨日の広告記事に載っていた2代目の慶逸さんのことである。
わしが、もの心ついた頃には、すでに隠居を決め込んで、働かず一日中、書を書いたり、お出かけしたり・・・。
粋なひとである。あそび人とまでは言わないが、勤勉な商人では、なかったような気がする。

先日も書いた中島屋代助商店所蔵の明治42年発行の学校通信みたいなものに、この慶逸じいさん(当時高等科2年 現在の中学2年)が書いた文章が出てきた。
たくさんの所蔵品の中からこんなものを見つけていただいた代助氏には感謝である。
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「人目」は誤字のような気がするが、まぁよしとする。
(まさか、死んでから30年たって、自分が中学時代に書いた文章の誤字を、孫が指摘するとは、慶逸じいさんも思っても見なかったことであろう。)

池を見て、湖を思い、池を思い、川を思い、水泳がしたくなる。
なかなかの想像力である。
しかもまだ6月。
最後の締めがまたすごいと思う。
「夏休みまで、暑さに弱い僕はどうして暮らすのかしらん。」
んーー、なかなかのものである。
さすが、わしのじいさんである。
あの隠居していたじいさんしか知らないが、中学時代からこんな文章を書くとは、なかなかの根性なしである。
わしの、根性なしは、隔世遺伝であった。

生きているうちに、もう少しお話しておけば、面白い話が聞けたかもしれなかった。
by osayaitomise | 2010-08-08 18:48 | おさやのこと